9月18日、Nepal国に着いて早10日が経過した。毎日、歩いたり、Nexag対応、スリエさんからの聞き取り、今週末のミニ会合の準備に明け暮れる。空港から真っ直ぐSankhuに入ったので、Kathmandu市内の中心部にはまだ足を踏み入れていない。数日前にKathmanduのRajuには、今日の午前中に会社へ行と連絡していたが、Nexagを動かすことを優先させなければならない。Rajuに延期をWhatappで伝えた。
O先生とNexag対応を話す。
ミーティング準備のため、シナリオを整理する。0先生のPotatoesの問題整理を農家に分かりやすく整理する。シナリオ整理に夢中になり、Nexag対応が遅くなる、
タイマーBoxと電源コントローラーの配線は簡単に外せるし、e-DISP や子機との配線は色分けされているので、切断してもらえれば、再接続は可能である。タイマーBoxを送付してもらうことをO先生から札幌にお願いしてもらう。問題は発送、受荷の方法だが、ネットで調べると、クロネコヤマトにはネパール発送のサービスがある。世の中どんどん進歩している。JICA事務所を頼ることなんて、まったく不要なのだ。
一連の処理を終え、ぐっと疲れを感じた。少々風邪っぽいが、体温計の温度は平常だった。今日は満月のお祭りだが、参加できないかもしれない。しばらく横になって休む。そして、いつもの夕方停電が発生した。
しばらくして、スリエさんが夕食を伝えてくれた。少し休んだことで、楽にはなったが、本調子ではない。食卓には、お祭りのプレートがあった。中央の乾飯を肉、豆、アル、野菜が取り囲んでる。ネワール独自の文化を感じる。停電はまだ続き、隣接するバクタプール方面は街灯が灯っている。食卓にはLEDライトが一つだけ。お祭りの夜には相応しい雰囲気だ。そして、満月祭の天体は東の空に輝いている。ハレのプレートを撮影し、先週、覚えた右手で乾飯(チューラ)を食べることは、難しそうなので、今晩は久々にスプーンを使う。しばらくして停電は解消した。添えられたロキシーを数口飲む。体が熱くなり、不調の熱と混合し、昇華する。アルコール消毒が効いたのか、お祭りには行けそうだった。
食事後、スリエ夫妻とO先生、私の四人で街へ出る。今日始めての外出となる。旧道門を潜り、別の旧道へと折れる。歩いたことのある道なのに、闇は見たくないものを消してくれるので、昼間とは違う表情がある。お祭りのため、人々が散策し、広場では「チャン」が無料で飲める。仮面像の口からでるチャンを次々と人々が空中で捉える。子どもも飲むのであるから、極めて発酵度が低い状態なのだろう。夜風が気持ちよく、度々の停電が闇を深くする。
スリエさんは現在も続くトルと言われるコミュニティのリーダーを昔務めていたので、旧知の人が多く、移動する度に声をかけら、挨拶を交わされる。その中に、NPO活動で日本にもきたことがあるジュルムさんも居た。我々とジュルムさん、彼女の友人の六人で古い聖域を巡る。聖域の場所は、辻であったり、民家の通路を通った中庭であったりする。このお祭りでなければ立ち入れない場所もあるそうだ。仏教とヒンズーが融合しつつも、今日は仏教のお祭りで、前回尋ねたヴァジュラヨギン寺とは関係が無いと言う。トルに残る集会所では、経を読んだり、音楽が奏でられる。
チャンの振る舞い、読経、音楽、舞踏、サークル遊び、雑踏、石段に座りかたりあう人々、そして夜風、日本のお祭りも昔はこのようだったのかと思いながら、散策を楽しむ。Sankhuには8つのトルがあり、その全てを回り、スリエさんと縁のある聖域を巡礼する。彼と出会わなければできない体験に嬉しくなる。当然、この夜の異邦人は我々二人だけだ。
家に戻る夜道、きれいな満月を見ながら、スリエさんに狼男を知っているかと尋ねるが、そのような寓話は伝達していないようだった。月に向かって吠えてみるが、笑われてしまった。散策で暖かくなったからだは、久々の心地よい眠りをもたらした。これまでの睡眠不足も解消できたようだ。