Sankhu-11

 9月19日、Nexag対応は、タイマーBoxが届くまで成す術が無い。O先生は、データー吸い上げ、加工をPythonで行ってる。Pythonによるdata処理を学ぼうと思ったが、どうも集中できない。昨日の予定であったRajuに会うためKathmanduへBusで行くこととする。体調は万全では無いが、熱は無いし、下痢も無い。朝食は山で撮れた蜂蜜付きの小麦薄焼きパンとダル・スープ、そしてミルクティー、いつも美味しい。

 天気が良いので、敷ふとんを屋上の欄干に干す。そして、日記ブログのキーを叩く。午後に会うこととしたので、Sankhuを10時頃に出るとする。終点のKathmandu Mallまで1時間弱、そこからRajuのオフィスまでは40分くらい歩くことになりそうだ。そうそう、お土産のSBカレー粉を忘れずに。

 土曜日のミーティングで、気象観測による病害危険度判定の説明をスリエさんにしてもらうため、O先生がまとめた読み原稿をネパール語に自動翻訳し、彼のWhatsappに送る。なんや、かんだで出発は10時半過ぎとなった。近くの旧バスターミナルにバスが停車しており、新バスターミナルから後ろに止まると、前のバスが発車する。

 ローカルバスの座席はほぼ埋まっており、最後尾に空き席を見つけ、鎮座する。左側の窓際には後から聞いた12歳の女の子が座っていた。時折、白ひげの変な異邦人を興味深そうに覗き、こちらが視線を向けると、目を逸らす。後から乗り込んできた男性との会話で、後部座席は彼のファミリーと妹達だと分かった。バスの乗車ドアは閉まらない。ステップに立つ車掌が、バス停毎に行先を何度も告げる。その言葉は聞き取れないが、発車はバスの外壁を叩いて、運転手に告げる。日中だけど乗り降りがかなりある。後で今日が建国記念日で、休日であることを聞く。Kathmandu市内まで、いくつかの沢を超え、丘を登る。予想外に風邪が気持ちよく、車内で暑さを感じることは無かった。

 バスはボーダナート寺院の横を通り、混雑する街中を中心部へと向かう。人、車、バイク、店、カオスだ。定刻など無いバスは、聞いていたKathmandu Mallまで行かず、タメル公園が終点となる。ファミリーの父親がここが終点だと言う。皆が降りるわけではない停車、車掌にここが終点かと聞くと、身振りから「そうだ」と理解する。バス停の近くには、バス溜まりがあり、Sankhuへの帰りはここからバスに乗れば良いのだろうと考えるが、Mapにポインティングするのを忘れてしまった。

 ここからの徒歩行は、ツアー会社を終点としたMapに案内させる。歩道橋を渡り、地下道をくぐる。主要道を横断するのは危険すぎるし、信号も無い。主要道から細い道へ入ると、両側に商店が並ぶタメルエリアを通る。その情景を書き表そうとすると、恐ろしい文字数になる。バスから見たカオスに工事が加わり、一時の静止も静寂も許されない。これが現在のKathmanduなのだ。44年前のKathmanduは、朝の気持ち良い空気に薪が燃える匂いがした。自分はこの匂いの朝をKathmanduモーニングと呼んで、一人越に行っていたが、その面影は跡形もない。

 小路と言っても、車やバイクが駆け抜け、人は縁に追いやられる。小路、広場、小路が続き、広場で行先の小路を確認する。スマホがなければ歩けないし、スマホ頼りが恐ろしい。タメルの街角では、日本人と見抜かれ、声を掛けてくる怪しい者も居た。完全無視する。13時を過ぎた頃だろうか、空腹を感じ、道横の小さな地元食堂に立ち寄り、ツクパを食べる。進路は川とぶつかると、寺社の境内を抜け、フットサル競技場を目指す。目指す会社はMapに掲載されているが、会社の看板も無く分からない。近くの売り子にRajuの名を出しても、知らないのリアクション。別の店でも尋ねると、会社名が出ていると言う。そちらの方向へ進むと、それらしき物もなく、RajuにWhatappメッセージ、電話するが応答が無い。困り果てていると、通りかかった女性が、Rajuはここだとガイドしてくれる。その先はバイク屋で、主人が奥のドアへと案内する。なんか、やばい物の運び人のような気持ち。主人は、階下からRajuの名を呼び、しばらくして階上から返答があった。

 さあ、密売の交渉ではなくて、ツアー内容を確認せねばならない。二階に上がると、Webで見たRajuが居た。部屋に案内されると、他に二人の若者が居た。まずはRajuと握手する。パソコンの画面を見ながら、入金は確認している。と言う。今回のツアー料金の送金は、手付け金として20%、そして日本を出る前に80%をWISEを使って送金している。現在の送金システムの中では2番目に手数料が安いと言われており、銀行を経由しない口座間の送金である。20%の送金には少々躊躇ったが、送金時間は短く驚いた。既に全額の支払いは終えている。後は物を貰って、でなくてツアーの最終確認だ。日程、Meme Pokhariでの三泊滞在、体調による日程調整を話す。一日の歩行時間は短くて5時間、長くても8時間だと言う。高度の話では、これまでの最高到達標高を聞かれたので、カリガンダキ川からダウラギリから伸びる尾根の4500m程度だと答えた。今回のツアーの最高標高に近い。装備では、やはり自分の持ってきたシュラフは使えないようだった。ウールの下着や防寒ズボンもあると言ったが、-15℃対応のシュラフが良いと言う。どのみちそのようなシュラフは無いのだから、レンタルするしかない。ツアーメンバーは当初聞いていた6人から7人になりそうだと言う。地元のガイドを雇う話はメールでしていた。人数が増えても料金は変わらないとRajuは言う。チップは6人分しか用意していないから、Rajuの分はルピーで払おうと思った。

 この会社にとって日本人は初めてかと聞くと、4〜5回日本人のパーティと言った。少々、残念に思う。このツアールートはと聞くと、初めてだとの回答だった。8月は地元民のツアーはあるが、この時期は誰も居ないだろうとも。居たとしてもネパールの若者がテントを担いで歩く程度だろうと。目的であるモニュメントのことで、地元首長との面会を尋ねる。Kathmanndu

帰路、タメル公園、バス停は何処だ、こっちだ、あっちだ、

ボーダナート寺から乗るため歩く、バッテリーの残量、陽が傾く、危険な道路横断、

バクシー、300だけど500欲しい、撮影、ボーダナート寺院、バス停は何処だ、バスはどれだ、ラマ僧に尋ねる、

満員バス、少し太り過ぎでは、Sankhu帰還、やれやれ

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