9月23日、朝から雲一つ無い。雨期は終わったのだろうか。朝は気持ち良い気温も10時を過ぎれば強烈な日差しが辛くなりそうだ。O先生が気にされてたチャングナラヤム寺方向からのSankhu俯瞰写真を撮りに行くこととする。O先生には体力の消耗が予想されるので、情報整理に勤しんでもらう。
撮影地点は明らかではないし、昔と道が違う。橋ができる前は、モノハラ川を歩いて渡ったとO先生が言う。Sankhuとスントールの街が俯瞰できて、現在は2つがつながった状況をご覧になりたいそうだ。Google Mapsを見ると、スリエさん宅からモノハラ川を渡る橋までは、幹線道路を通らず、田園の中を通って行けそうだった。あぜ道でズックは滑るので、トレッキングブーツを履く、日差しは広ツバ帽子で対策、飲料水ペットボトルは半分で足りるだろう。気持ちの良い朝、人の往来、どこかで燃やす薪が、昔のKathumandu Morningを思い出させる。道を一本川よりに取ってしまったが、住家の住民があっちだと指差す。ここでもナマステ。道は先々週になるだろうか、夕立の前哨雨から逃れるため急いだ道と繋がった。金持ちのチェットリー族が住む高級住宅街を進むと、異邦人を見つけた悪ガキが後ろから声を掛けてくる。面倒なので完全無視すると、最後は罵倒の言葉で終わったようだ。可愛げの無い子どもに興味は無い。ドイツ系ファンドが建てた病院をすぎると、道は段丘を下り、モノハラ川の広い河原に広がる雨よけトマトハウスの間を進む。モノハラ川の橋を渡り、チャングナラヤム寺へと向かう真新しい砂利道を登る。
道はどんどん登るのだが、肝心の撮影ポイントから離れてしまう。途中分岐があったので、上流方向へと向かう道を左折した。道沿いに電柱も伸びているし、上から車も来たので、ゆきどまりでは無いだろう。駄目なら引き返せばよいだけだ。道は細くなるが、ところどころに人家もある。樹林越しにSankhuとスントールが視える場所で撮影する。既に陽は高く、撮影には良い条件では無い。
道はさらに高度を上げて行く。モノハラ川の下流が見通せるようになると、Sankhuはさらに霞んでゆく。側に居た婦人にチャングナラヤム寺はこの先だと言われ、帰り道を考える。往路引き返すのも芸が無いので、チャングナラヤムからモノハラ川の橋を目指すこととする。Mapにはそのような道があった。見通しの良い高台を通り、バクタプール方面の平場が見えた。そして、カトマンズ盆地を見通せる道に出た。市内はスモッグに覆われ、外縁の山々がかすかに見ることができる。あの汚れた空気の下で、多くの暮らしが営まれている。それに比べ、Sankhuの空気はまだ汚れていない。
チャングナラヤム寺を間近に見ながら、モノハラ川へ下る道をMapで確認する。砂利道は拡幅工事が行われている。道路の締固めのためか散水車までお出ましだ。下っていくと小さな集落があったので、そちらに導かれるように入っていくと、子どもたちが珍しそうに眺める。ナマステで挨拶し、かわいいナマステが返ってくる。Mapの導きと進行方向が異なるので、引き返すと、男の子がどこへ往くと聞いてくる。モノハラ川だと言うと、怪訝な顔、多分使われていない呼称なのだろう。Sankhuと言い、ここは通れるかと聞くと、大丈夫だと頷く。民家裏の小道を辿り、Mapの示す道に戻った。道は次第に険しく、荒れてくる。車は通れなくなって、しばらく経つのかもしれない。人が歩くには問題はない。
高度を下げ、分岐を確かめながら歩く。モノハラ川の河原が近くなると、右手に粗末な家が見え、子供の声がする。母親らしき女性が、洗い物をしている横をナマステと声を掛ける。静かなナマステが返ってきた。家の前を通ると、四人の子どもが居て、その内の一人が可愛いナマステを投げかける。こちらも可愛いくおっさんのナマステを返す。ジャージの制服を来て椅子に座り、身支度をする少女が、「どこへ往くの」と尋ねる。車の通らない道だし、一人歩く他所者に興味を持ったのだろう。「Sankhuの街だよ」と言うと、「Sankhuの何処」と尋問は続く。うまく説明ができなかったが、Sankhuの街とサルナディ寺の真ん中あたりと言った。すると、彼女は私の学校はサルナディ寺の近くだから、一緒に往こうと言う。スクールバスの単語を聞いたので、「私もスクールバスに乗れるのか?」とふざけて言うと、少し困ったような顔をしつつも、身支度を終えると、さあ往こうと言った。
帰りの道に広い車道を選んでいれば、こんな出会いも無かっただろうに、一人でも昼間は安全に歩けるNepalならではかもしれない。マナステ前の顔は怖い人も多いのだが、ナマステ以降は印象が変わってしまう。道は二人が並んで歩くのは十分に広く、雨期にはどろどろの粘土質の表面は、ここ数日の好天ですっかり乾いている。あどけない少女と白髪のおっさんの奇妙なコンビは一本道を辿る。「どこから来たの」「日本だよ。知ってる?」「知ってるわ、私の知り合いのお姉さんは日本で暮らしているの」「あなたのお母さんはよく働くね」「そうよ、朝から晩まで働いているわ」「ご飯は食べたの」「朝は私がご飯を炊くの」「あなたが?」「そう私が、あたたはご飯食べたの」「まだだよ、ところで君は幾つなの」「12歳よ」とりとめも無い会話が続く。こちらが知っているネパール語も交えると、この変な他所者への関心は興味に変わった気がした。4人姉妹と弟が一人、あの家を見ると生活は苦しそうだ。「私は勉強して、学校へ行って看護師になるの、そして海外へ行きたい」「あなたが海外へ行ってしまうとお母さんは毎晩泣くことになるよ」父親は海外で働いているのだろうか。それならばもう少し豊かな生活ができそうなものだが。「お父さんは海外に居るの?」「お父さんは家に居るわ、毎日寝てばかり居るの」「病気、怪我しているの?」答えは無かった。その代わり、「お父さんは嫌い、お母さんは好きだけど・・・」
一本道は河岸段丘の縁を通るので、時折崩れた部分を通らざるを得ない。雨期は大変だろう。通路は細くなるので、一人ずつが通らねばならないので、気まずい会話は一旦中断した。モノハラ川を渡る橋の手間で上りに通った車道と合流する。ここからまた二人で並んで話を始めた。「海外へ行ったとしても戻ってくるのでしょう。ネパールが嫌いなの」やはり答えが無い。私の質問は、少女の辛い現実を認識させているようだった。左手のスマホを見た少女は、「iPhoneなの」「そうだよ、でも古いタイプだよ」「友達は皆、携帯をもっているけど、私は持っていないの、家は貧乏だし」子どもには生まれる場所を選ぶことはできない。裕福な家に生まれれば、なに不自由なく過ごせる。欲しいものが手に入り、苦労は無い。貧しい家に生まれれば、小さいときから苦労は耐えない。皆、貧しければ思うことはないが、貧富の差が明らかになると差別が生まれ、卑下と嫉妬が芽生える。ネパールにはカースト制度が根強く残り、自由に職業を選んだり、カースト間の結婚ですら村八分の対象となる。「貧乏は悪いことではないよ、君にはまだまだ将来がある。私の未来はもう少ないが、それでも何かできないか、いつも考えている。」「そうね」なんとか少女を励ましたかったが、上手く伝えられない。段丘を上がり、ドイツ系の病院横を通ると、人通りが増え、バイクも交差するので、また二人の会話は途絶えた。少女の学校はサルナディ寺の近くならば、ここへ来た田園道を通れば近いと思い、その道を通ることを提案する。煩くて危ない幹線道を通らない道だ。いいよと少女は答える。田園道も細いので、また二人は黙ったまま歩き続けた。小さな橋をわたると、また並んで歩けるようになった。「何処のホテルに居るの」「ホテルでは無く、友達の友達の家だよ」「いつまで居るの」「多分あと2週間は居るよ」田園道から彼女が指差す先に学校があると言う。サルナディ寺とは方向が違うではないか。「あの青い壁が学校で、政府の学校よ」「サルナディ寺の近くでは無かったの、民間の学校では無いの」「近くよ、民間学校は高くて行けないわ」ネパールの学校制度は分からないが、勉強したい彼女にこれから進学は可能なのだろうか。スリエさんの家の前で、ここに居ることを伝えた。「土曜日に家に遊びに来ない」「土曜日は、日本との仕事があって行けないよ」「日本に帰ってしまうの」「いいや、インターネットを使った仕事だよ」せっかく提案してくれたのに、叶わなかった少女の顔は悲しそうだった。少女の家に行って何ができると言うのだろうか?あの場所であれば、異国人が通ることはまず無いし、誰もにことのような提案をするとは思いたくない。事情を知れば知るほど、なんとかしてあげたいとは思うが、そんな簡単な話ではない。それじゃねと二人のコンビは解消し、苦々しさだけが残った。
O先生に帰還を伝え、背負ったまま一度も飲まなかったボトルの水は、生暖かくなっていたが、ようやく水分補給をする。しばらくすると、スリエさんが前日に計画したサルナディ川上流域へ誘ってくれる。汗をかいて脱いだ上着とズボンをもう一度付け、スリエさんのバイクに乗った。
街中から水道施設、坂道、止まったバス、サルナディ川上流、分水嶺、ナガルコット方面へ、欧米人グループ、水源池は水源地へ、幹線道路壁の落書き、ヒマラヤ方面の厚い雲、荷運び、中年男のルピー、サルナディ川上流を眺める、建設中のチベッタン寺院、養老院?、悪路を引き返す、チャイ、坂道を下る、
部屋に戻り、しばらくするとスリエさんが、いつもより遅くなった昼食を告げる。先に済ませたO先生を残し、3Fに上がり、スリエさんと食事する。サンティ婦人がいつものようにニコニコしながら世話をしてくれる。食事後、スリエさんに午前中に出会った少女の話をし、今日は少し悲しい思いをしたことを伝えた。スリエさんは名前を教えてくれと言う。道の途中で名前を書いてくれたので、後で伝えることにした。何もできない他所者が、一時の偽善者を装うことに抵抗を感じつつも。