9月22日、昨日のMeetingを何とかやり切った安堵と疲れで、起床は、6時30分を過ぎていた。O先生もぐっすり休まれたようだ。
今日は、昨日、スリエさんから貰った課題と対策のペーパーをNPOのメンバーと議論できるように整理することとした。また、地域の図書館を見せて欲しいとスリエさんに以前から頼んでいた訪問が可能となるようだった。時間は16時からだと言う。学習のための施設のようで、そのために学校授業後に開催されるらしい。
洗濯もしなければならない。スサンティさんに了解をもらい、O先生の洗濯物と一緒に選択、なんとドラム式の全自動洗濯機である。ここはKathmanduなのだよね。洗濯機は1時間で洗い上げ、4Fのテラスに洗濯物を並べる。多分、1時間程度で乾くだろう。今日は、雨期の空気は去り、雲はすっかり無くなった。日差しが強く、日中の外出を躊躇させる。近くの水田では稲刈りが始まり、南地方の住民が労働者として一時移住して、厳しい労働にあたる。既に収穫された水田では、脱穀が始まった。足踏み式の脱穀機が勢いよく穂を弾き飛ばしている。この日から近くの風景を定点的に撮影することとする。
16時を過ぎてから、スリエさんと図書館へ向かう。教育関係の本が多く、Sankhuの歴史は無いかもしれないとの話だったが、まずは見せてもらうこととする。スリエさんと歩くと、多くの知人との挨拶が耐えない。今も残るトールと呼ばれる自治のリーダーを以前彼が務めていたのだから、仕方がない。図書館はまだ空いていないので、近くの商店で立ち話をする。下校してくる生徒が通り過ぎ、暑さが凌いできたので、往来も多くなる。
目指す図書館は、商店の二階にあり図書館と言うか図書室はトールの共有財産であるそうだ。事務の女性にどんな本があるかを尋ね、歴史関係の蔵書を確認するが、無いとの答えだった。書棚の本を見せてもらうが、学習関係の本が殆どで、驚いたのは金日成や統一教会本があったことだった。スリエさんからは、e-bookの構想があることを聞く。確かに出版本の世界は厳しく、Sankhuの歴史本なんて売れないだろう。O先生が所蔵する本やその他の情報は、Webで読めるようにするのが良いのだろう。2015年の地震で大きな損害を受けたこの街、古い写真や復興による変化も資料としてあるのだろうか。地域を知ることから始めなければならないと考えるのは、よそ者のおせっかいなのだろう。
埃っぽい図書室を後に、屋上に上がる。沢山のアルミの鍋とコンロが一つ、スリエさんによると辻向いの音楽堂の楽士達が食事する場であるらしい。暮れなずむ街をしばし眺める。ほとんどの家の復興は最近らしいが、レンガや人手作業の街は、古い町並みとそう変わらない気もした。
スリエさんがサルナディ寺まで往くかと聞くので、散歩がてらに歩く。旧道から幹線道へ出るところには、サルナディ寺に関連する門があった。サルナディ寺の祝祭時にこの門を神様が担がれて通るそうだ。夕暮れのサルナディ寺は静かな佇まい、楽士による演奏がかすかに聞こえる。1月の祭典は1ヶ月間続き、国内から多くの人が集まるという。1日に1万人、休日は10万人がKathmanduから日帰りで来るらしい。1月のサルナディ川での禊はさぞ寒かろう。
サルナディ寺の戸を覗くと、真っ黒な像がこちらを睨んでいた。寺を出て、角の食堂でチャイを飲む。この店はスリエさんのお気に入りの店らしい。今回で3度目となる。すっかり暗くなった道を戻る。南の養鶏所から運んできた鶏糞堆肥をトラックはジャガイモ植え付けのために慌ただしく降ろしている。まだまだ労働作業が続く。