9月24日 前日夜、亡くなった親族の追悼から帰ってきたスリエさんが朝の散歩に誘ってくれた。O先生は疲れているのに、往くと言う。出発は5時、部屋に迎えに来ると言った。
いつも4時になると、何処かで始まるチベッタンのお祈りが聞こえてくる。天気が気になり窓から外を覗くと、星は見えず、雲が覆っているようだ。ぐっすり眠るO先生を残して、スリエさんと往こうとしたら、O先生が起きてこられた。三人でまだ暗い外へ出る。半月が頭上にあり、木星が雲の隙間に見えた。スリエさんの朝の巡回路、ルーチンは5年ほど前かららしい。足元暗く、円礫の道では躓きそうになる。O先生は頭も体も眠っているらしく、フラフラしながら歩く。サルナディ川の橋を渡り、モノハラ川は何処で始まるのか聞くと、さらに下流だとスリエさんは言う。うーん、ようわからん。
あたりが明るくなってきたが青空は見えない。住家を抜けると道路の勾配が増し、棚田の中を抜ける。この時間帯に散歩するのは、日中のバイクや車の通行に妨げられることが無いからだとスリエさんは言った。往来が少しずつ増えてくる。時折、スリエさんの友人ともすれ違い、短い挨拶が交わされる。こちらは、ナマステ。ナガールコットに続く道に合流すると、女性グループも増えてくる、皆、散歩を楽しんでいるようだ。栄養状態の改善によるためか、彼らのお腹はやや脂肪が多い。そのためのウォーキングをだれかが推奨したのかもしれない。スリエPaPaの家への分岐を過ぎ、道は緩やかに下る。スクールバスが既に生徒を乗せて走る。
サルナディ川を渡り、寺院横の食堂でチャイをのみながら休むととともに、スリエさんは馴染み客たちと情報交換。どうやらこの店は、5時から19時まで営業しているようだ。今まで気づかなかったが天井近くには燕の巣があり、住民達は客の姿に警戒したか、店奥の別室にある棚に集まっている。燕たちは、通年居ると言う。主人らしき男性は、熱いオイルに穴の空いた容器から生地を落とし、ドーナツづくりを始めた。すると、最初に出来たドーナツを長い橋で、道路に放り投げた。最初のドーナツは、神への捧げ物なのだそうだ。たむろする犬たちが食べるのかと思ったら、誰も寄ってこない。熱いのを嫌っているそうだ。
街中には南方の人たちが何処からともなく現れ、稲刈り作業に向かう。彼らは6時から働くそうだ。日中は暑いから、少しでも体力を温存させるためなのだろう。幹線道路と合流し、スサンティが通う学校の前を通り、水路沿いのショートカットで登記役場の前へと出た。幹線道路からの分岐道に合流し、スリエさんとの朝の散歩は終了した。O先生は少々お疲れ、Bedに横となる。
今日は、土曜日のミーティングに向けたメンバー設定と内容を整理しなければならない。朝食後にスリエさんと話て、メンバーは前々日に提案のあった副市長の他、女性農業者でJICA研修で札幌にも滞在したことのあるジュルムさん、若手農業者で先週も来てくれたディペンドラさんとなった。O先生に開催趣旨と発言内容を事前に伝えるため、メッセージの作成をお願いするが、なかなか書き上げられない。今回は通訳のジバンさんを交えるので、多くの内容にふれることはできない。
スリエ宅の近くでは、4日前に稲刈り、脱穀、3日前に荒起し、2日前に畝立てが行われ、今日は種芋が植え付けられるようだった。屋上からはその様子がよく観察できる。5人ほどの近所に住むタマン族らしき女性と2人の男性が、作業を始める。男性が種芋を並べるが、その間隔は15cm程度であろうか。狭い。水田後作、肥料の投入は確認していないが、あまりにもの狭さに驚く。女性達は、畝の土を細かく砕き、種芋が並べ終わるのをおしゃべりしながら待つ。そして、種芋が並べ終わると、種芋を持ち上げ、種芋があった場所を少し掘り下げ、種芋を戻し、土をかける。この作業を続けた。
スリエ宅の北側では稲刈りが始まった。足踏み脱穀機を二人が棒を通して担ぎ、その他15人程の鎌を手にした南からの一団は、畔に配列すると、それぞれが幾つかの株を刈り始める。100m以上離れているが、稲を刈り取る音が聞こえる。蚕が桑の葉を食べる音のように。作業の速度は早く、どんどん稲が刈り取られ、並べられてゆく。
種芋植えと稲刈り、2つの作業を何度か屋上から撮影する。
ジュルムさんの家へ
Surajさん
北方面の雷