Sankhu-1

Sankhuの朝は4時過ぎ、鶏の鳴声、犬の吠え声の合掌で始まる。指揮者は不明。そして辺りが明るくなった7時頃にはルクラ方面へと向かう航空機音が加わる。スリエさん宅近くのベニヤ板工場の機械も動き出す。10時まで眠る予定は、8時に変更、気だるい体を屋上に運ぶ途中、サンティ婦人と朝の挨拶、ルーフトップの階段では先客のスサさん(スリエさんの長女)の黒い瞳に吸い込まれる。O先生とは何度も会っており、英語の会話が弾む。0先生に景色を紹介してもらい、スサさんからも説明を受けた。どの風景が好きかと尋ねると、ヴァジュラヨウギン寺院の風景だと言う。周辺には3つの古い寺院があり、最近はチベット密教の寺院も増えている。何故なのかは、チベットが置かれている環境を考えると想像はできる。

 一通りの地理的情報をまだ目覚めぬ頭に入れていたら、サンティ婦人とスサさんが朝食を運んできてくれた。プライスに座り、欄干基礎にミルクティーとトースト、茹で卵のプレートを置く。緑と朝の空気を吸いながら、一時を過ごす。

 以前は、水田と古い集落だけのSankhuの景色は10年前にNepal国を襲った地震により壊滅的な被害を被った。古い水路による水環境も失われてしまった。その後の復興により新しいコンクリートとレンガの家が立ち並び、その多くは複層構造で、真新しい貯水タンクが目立つ。今回の目的である気象ステーションは、スリエさんの家からも近く、使用中断により、雑草に埋もれつつあった。

 食事後、スリエ氏がステーションから外したバッテリーを確認すると、12.3Vの電圧と充電器には80%の充電を表示した。使用できる印象を持った。O先生は、バッテリーチェッカーにパラメーターとして入力するCCA値が気になり、バッテリーメーカーの代理店を訪問すると言う。バッテリーをNexagのE-DISP・Zに直結すると、何故か表示が出ない。札幌で事前に実施iした状態と異なるのだ。Simが入っていないためなのか?、そのような話は聞かなかったし、いきなりの予想外に焦る。

 しばらくすると、新しいSIMをバイクに乗って、下の集落で調達してきてくれたスリエ氏が戻って来て、スサさんとともにE-DISP・ZとO先生と私のスマホに設定してくれた。E-DIPのSIMはこれまで使っていた物と同じため、E-DISP・Zの通信設定(SDカード)を修正する必要は無かった。SIMを入れた状態で再度、祈る気持ちでバッテリーに接続するが、前回と同様に起動しない。うーん、困った。バッテリー、配線を再度確認し、e-DISPを手にすると、左にあるスライド・スイッチが下がっているではないか。スイッチを上に上げると、当然のように起動した。SIMを入れてあるので、アンテナと接続しなくとも通信マークが表示されると思ったのだが、画面には表示されなかった。設定画面を表示することを既に忘れていた。

 O先生にe-DISPの起動を伝え、観測装置を確認することとした。スリエ氏から鉄檻の鍵を借り、あぜ道を辿り、野犬防護の波トタン板を外し、隣家から聞こえる音源に対し大きな声で「Namaste!」、出てきた小柄な男性へ、身振りでここを通りたいと伝える。小柄な男性は困った表情で、家の中に声を掛ける。出てきた体格の良い男性に、指差しで「Weather Station」と言うと、分かったよ、と言ってくれた気がしたので、民家横の小道を進む。水田と畑が接し、あぜ道には大豆、かぼちゃが植えてある。傷つけないように、そして草で滑らないように進み、観測装置にたどり着いた。

 装置は、枯れ草に覆われており、借りてきた鎌で、周辺の草を刈る。装置はメンテナンスがなされていないので、太陽光パネルを含め汚れが酷い。鍵を外し、鉄柵の中の草を刈り、必要な作業を考える。まずは掃除だな。O先生は、通りやすいと思われる仲間のスンダールさんの温室方向の道を探る。スンダールの弟君を見つけ、再会の会話となった。空のバッテリーケース(クーラーボックス)に残された配線を外し、泥水をケースから排除する。クーラーボックスを持ち、スンダールさんの温室横を通り、車道からスリエさんの家へ戻った。

 バッテリーは明日まで充電することとした。明日は、O先生は、CCA値を確認するためエクサイドの代理店へ行き、私は観測装置の清掃をすることとしたが、代理店が分かるならば、電話をしてみることを提案した。スリエさんにもそのことを伝え、今日の作業を終えた。

 昼に頂いたダル・バート・タルカリ(DBT)は腹持ちが良い。部屋で明日以降の対応をO先生と相談していると、停電となり、Wifiも使えなくなる。スリエ宅の階段だけはバッテリー給電によるLEDライトが灯る。手持ちのソーラーランタンを灯し、作戦会議を続けた。そうしていると、サンディ婦人から夕食の知らせ、家族の食卓もあるので、夕餉の場は3Fの応接間(スリエ夫妻の仮寝室)となった。LEDライトの淡い光、外につながる暗い影、近隣から聞こえる夕餉の家族の会話、昭和30年代の日本の雰囲気、カトマンズ市内では味わえない心地よい空間は、少量のロキシーを楽しませてくれる。スリエ氏とO先生は、いろいろな人の近況を主に会話が弾む。時折、関心のある話題には参加させてもらった。明日は、どこまで作業が進むのだろうか。ここはNEPAL、ビスタリ、ビスタリ。停電は、しばらくすると復旧した。

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