9月21日 交感神経と副交感神経の交差の影響か、明け方に咳き込む。大事な日なのに、人前で咳き込んで入られない。今朝も咳止めを服用し、朝食後、しばらくすると落ち着いた。軽い気管支炎の終焉だ。
私の懸念として、今後このNPOがどのようにSankhuと関わろうとしているのか、そしてスリエさん達は何を望まれているのか。O先生に問いただしていると、朝食を持ってきてくれたスリエさんとしばらくそんな話をしていたが、スリエさんはライオンズクラブの会合で9時半までには戻ると言われる。当方の懸念を正確に伝えることはできなかったが、スリエさんはこれまでの交流に沢山のメリットを貰ったと言ってくれた。O先生とスリエさんの関係には何の懸念もない。しかし、この二人の関係を永遠に続けることはできない。人には寿命がある。JICAの講師対応で席を借りたようなNPOを自分にそんなことを考える必要は無いのだろうが、スリエさんとこれまで暮らしていると、無力な自分と分不相応の対応を考えてしまう。
ゲストに昼食を取ってもらうには、ルーを温め、ご飯を炊いておけば良い。Santhyさんに図を書いて、お願いする作業と完成時間を示す。後は任せる。ミーティングのために、占領部屋の机を3Fに運び、PCと繋ぐTV、カメラ、マイクをセットする。今回は通訳が居ないので、我々が話すことは、原稿をネパール語とし、画面で流す。スリエさんの気象観測と危険指数の離しはコンパクト化し、図をそえてある。但し、私にはネパール文字が分からないので、何処を説明しているか判断できない。しばらくすると、スリエさんが画面の上げ下げを指示してくれるようになり、なんとか初めての詳しい説明は終了した。
その後、メンバーにSankhuの農業に関して語ってもらった。内容はスサさんが英語に翻訳し、NPOサイトのフォーラムに打ち込んでもらった。自分のPCでフォーラム記事を日本語で読み、内容をO先生に伝えた。ディペンドラさんのここの農業には未来が無いの言葉が心に残る。それに応える知恵も力も無いのだから。現状では面倒な作業だが、後数年経てば、もっと簡単になるのだろう。
札幌ではOriさん、Fさんが参加してくれた。
Meeing後、食卓で日本式カレーを楽しんでもらう。皆、美味しい美味しいと言ってくれた。料理と食事は世界共通語であることを再度感じた。
とりあえず、Meetingを乗り切ったことに安堵する。後片付けを済ませ、参加者の発言内容をNPOサイトに載せる作業を進める。あっと言う間に夕方となり、鈍った体を動かすため、サリナディ川まで散歩する。モンスーンの雲がまだ空を覆い、夕陽がカトマンズ方向に沈んでゆく。暗くなりかけた道の往来はまだまだ続いた。