Sankhu-28

 10月6日、今日はライオン丸の命日である。41年前の事になってしまった。AACHのメーリングリストに投稿しようかとも思ったが、これまで同期の反応も半数程度だったし、Nepal国に来ていることを引けきらかすようでもあり止めた。追悼なんて、気持ちがあればいつでもできるものであり、人に言われてする行為では無い。ライオン丸も望んでいないはずだ。4日後にはSakhuからKathmanduへ移動し、10月11日から一人だけの追悼行が始まる。否、これまで連絡をしてきた多くの人の想いと共にである。持ってゆく物をそろそろ仕分けしなければならない。バクタプール演奏の最終楽章に今日は、窓外の稲刈り音が加わった。後でスリエさんに聞くと、昨日支払った分だけの作業が終わらなかったらしい。圃場全体を刈るのかと思ったら、支払いと作業面積はリンクしており、稲刈りは途中で終了した。

屋上からは、既に多くのグループが作業を始めているのが分かる。水田の稲穂も全体に2割り程度となった。

初下痢、外出控える、2回目のPro薬使用、昨日のペットボトル水、冬虫夏草のロキシー

水道建設報告書、規約の写真コピー、用排水路の維持方策の例、会計書に次亜塩素酸ナトリウム等の薬品なし

手鍬

手鍬、畝立て、二段階、

スリエさんの水田、稲刈り再開、手配師、脱穀、撤収

夕立

O先生帰還

施肥設計、画面上の面積計測

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