旅が始まった。今回の構想は、もうずいぶん昔から考えてはいた。最初の仕事をしていた頃、いずれ時間ができればの程度ではあったが、その後の大激変により、それどころでは無くなってしまった。
諦めた構想が、再び芽吹き出したのは、秀岳荘で見つけた「売ります Feathercraft K1」の張り紙だった。40代の頃、海を漕ぐことを知り、一升瓶1本で譲り受けたKayakも大激変後にもう漕ぐことは無いだろうと手放していた。
大激変から10年が経過し、K1を譲ってくれた元山岳ガイドから長谷の名前を聞いた。私のK1は、「ライオン丸」となった。そして、2023年3月の知床、ショウジ川のビバークサイトで仲間を慰霊した後、長谷が残っていると意識した。
そして2024年、所属するNPOの総会でNEPAL国での作業計画が承認され、思ひ(欲)が伝わったのか、作業員として現地へ乗り込まさせてもらうことになった。
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