横浜能美台のN村宅を7:20に出る。昨晩、今朝とすっかり主の手によるご飯を頂いた。学生時代からの手際の良さは、更に進化していた。海外赴任先で納豆を作った話には驚いた。10月からのチリ、アルゼンチンのバイク・ツアーでは、パスタマシンでラーメンを作るという。訪問した理由の一つに、彼がMeme Pokhariのツアーを見つけてくれたことの礼を言いたかったことがある。それと、・・・長くなるので、止めておこう。
奥様の遺影に挨拶し、百日紅の咲く玄関門を出る。Google Mapsだよりに幹線道と合流し、既に暑くなってきた舗装道を京急駅へと進む。能美台駅から、羽田空港まで、京急1本で行ける。所用時間も40分程度か。第3ターミナル2Fで前日に預けたスーツケースを回収し、3FのTai-airカウンターへ進む。エコノミー列には団体が先客として並んでおり、カウンターにたどり着くまで小一時間を要した。心配だった荷物は25.4kg、超過料金は不要だった。手荷物の1.5kgは良いとして、バックパックはトレッキング・シューズをいれたので、7.0kgを1.0kg程超えているはずだ。計量で言われたら靴を履き替えようと考えていたが、これらの計量は幸い無かった。
空路は、沖縄、台湾東部、東シナ海からベトナム、ラオス、そしてタイ国際空港に定刻に着陸した。隣席の団体客の方は、60名でTaiLandを3泊で観光するらしい。ランチにワインとbeerを楽しそうに飲んでいた。団体旅行、既に死語と思っていたのだが、まだ残っていた。トランジットでO先生と合流し、6時間後の接続便を待つ。巨大な空港ターミナルには、テーマパークのように店が並び、多くの旅客が行き交う。搭乗前にチキンヌードルで腹を満たし、乗客と手荷物で既に満載となった客室内にバックパックの置き場は、前席の下しか無かった。隣席の若い先客に、Namasteと声をかけて着席すると、「日本人ですか?」と問われる。ネパーリーからの流暢な日本語に驚いた。話を聞くと、5年ぶりの帰国だと言う。学生で休暇がなく、その後のコロナ、就職後もなかなか休みが取れなかったそうだ。出身はKathmanduから西へバスで12時間、今日は空港近くの友人宅に泊まり、明日、久々の故郷へ帰る。海外での就業が盛んな国だが、20代前半で頼もしい若者だ。日本の若者と同じように、スマホは手放せないアイテムだし、それがあって孤独にならずに済んだのだろうKathmandu着陸後、握手をして、短い出会いが終わった。45歳までは日本に居たいと言う。文化交流?ビザには期限が無いらしく、家族も簡単に日本に呼べると言う。たくましい限りだった。
到着カウンターで、3ヶ月の観光ビザに125$を払い、歩が悪い両替所は担当者が外の方が良いと親切にもアドバイスしてくれる。入国審査では以前の入国カードも写真も不要となり、係官から、ネパールは初めてかと聞かれたので、2度目だと応えた。係官の表情が変わり、今年2度目かと聞いてくる。ネパールの年間滞在限度は150日のはずだから、それを気にしたのだろう。今年は初めてだと返答し、カメラ撮影で審査は終了、無事3ヶ月のビザを得ることができた。
荷物を受取り、下へ降りると、スリエさんが待っていてくれた。0先生より髭面の私を見つけたようで、札幌からのWhatsappの画像で印象を持ってくれたようだ。スリエさんが手配した車に重いトランクと乗り込み、深夜のKathmandu市内から、Sankhuへの20分程のドライブをした。小雨が降ってきたせいもあり、深夜の空気が気持ちよかった。Kathmanduの酷い大気汚染を味合わずに済んだ。
Sankhuの中心通りを外れ、スリエ宅に到着、スリエ夫妻の寝室を厚かましくも利用させてもらう。サンティ婦人がミルクティーを入れてくれた。荷物を少し整理し、長かった一日は翌日の2:30(日本時間5:45)に布団の沈んだ。