Sankhu-40

10月29日 夜明け前から、今日は快晴となることが分かるような空、そして暑くなりそうだ。スリエさんがバジルティーを持ってきてくれる。今日はKTMへ行かなくても良いので、試験圃場の慣行区でMancozebを10時頃から散布すると言う。マスクを付けるのかと聞くと、ゴーグル、マスク、手袋を付けると言う。こちらも写真を撮るからと告げる。

7時20分にはサンティさんが朝食、ドーナッツパンと炒り卵、そしてミルクティである。

Sankhu-39

10月28日 朝はいつものバジルティー、スリエさんは7時半には病院へ行くので、短くバイクの運転にきをつけてと言うことしか出来ない。朝食の後、スリエさんは顔を出して、出発を告げた。

用水路にはまだ空白区域があり、概査でも見落としがある。まだ歩く必要があるが、下流域で撮った写真とMapを整理する必要があったので、今日は一日、写真を眺め、Google Mapにラインを落とし、修正を続けた。その前に、洗濯もしよう。量が少ないので、サンティさんに洗い桶を貸して欲しいと伝えたら、何故、洗濯機を使わないのと言う。量が少ないから、手洗いすると身振りを交えて話すと、では屋上ねと言って用意してくれた。手洗いは良いのだが、脱水機を使うのも面倒なので、手絞りとする。この強烈な太陽があれば、乾くのは早い。

スリエさんの帰宅は午前中だった。洗濯物の乾き具合を見ている間だった。WhatappにO先生を含めたメンバーにメッセージがあった。

用水路の分岐や合流など、ポイントではソフトを使ってGPSデータをポイントしていた。ポイントした時間も記録されるので、写真撮影時間とGPSデータを対比させることができる。少々の位置誤差はあるが、記憶を呼び戻すのには便利であるが、

Sankhu-38

10月27日、一日休んだことで元気が出た。今日は、Raj Krowの終点を見極めよう。

Raj Krowは、分流により通水量を減らすものの、合流や段丘面からの浸透水を集め、流れは途絶えることが無い。そして、モノハラ川へと流れ着く。

Raj Krowの支線数が多く、全てを歩くことができない。

幸せそうな脱穀風景

午後からも残された支線を歩く。それでも不明な点が残った。

Sankhu-37

10月26日、定点観測時から培土と防除で皆忙しい。

今日は下流域を歩くつもりが、朝食後にスリエさんが昼食は、ロータリークラブの会合で撮ると言われた。サンティさんもバジュラヨウギン寺に用事があるようなので、それも致し方無い。先にスリエさんがロータリークラブの会合に出かけ、昼食時に連絡すると言う。10時頃の話が、結局12時過ぎとなってしまった。連絡では無く直接、スラジュさんがバイクで迎えに来てくれた。

午後からも動くには暑いし、疲れもあったので休養日とする。

Sankhu-36

10月25日、Surjaさんと朝の散歩に往こうとするが、5時半のスタートには間に合わない。まだ暗いこともある。バクタプール協奏曲も窓を閉めているので、目覚ましにはならない。

昨日、Surjaさんに教えてもらったことで用水系統が繋がり、水の流れが視えるようになった。今日で中上流域の支線に目処を付けたいので、残った支線を歩く。

サルナディ寺でティータイム、ドーナツは売り切れだった。ミルクティ代の25Rupiを間違えて15Rupiしか出さなかったので、女将さんに睨まれてしまった。

今日中に終わらすつもりだが、午後の出発が遅れ、取水地点は夕暮れになってしまった。前回来た時よりも取水量が多い。ゲートは操作棒と分離しており、ゲート下に竹を突っ込んで取水量を調整している。

帰りは、Raj Krow沿いを進む。

旧市街に入り、シェークナーレンの店で、ミルクバーを買い、チャイをいただく。

Sankhu-35

10月24日 今日も晴れ、雨は降りそうもない。これがモンスーン開けの天候なのだろう。日の出は6時を過ぎる。

屋上からの定点撮影済ませる。

今日は、用水路の中上流域の支線を歩くこととする。

午前中に取水口まで到達できなかったので、スリエ宅でのDBT後に再度、取水口を目指そうとしたが、用水路の系統で腑に落ちない点があった。それを昼食時にSurjaさんに伝えたら、懸念を解消してくれるという。

Sankhu-34

10月23日、朝から晴れている。既にモンスーンは開けたが、やはり天気は気になる。明るくなる前にSurjaさんはウオーキングに出ていった。

追悼行の報告ブログ連絡を済ませた後、観測機器の点検と周囲のPoteto畑の観察に出る。滑るトレッキングシューズのゴムにナイフで切れ目を入れて、少しでもグリップを回復させようとしたが、エントランスのレンガ敷きで早々と滑ってしまう。根本的に駄目なのか。

スンダール弟が畑起こしをしている。玉ねぎを育てると言う。玉ねぎには沢山肥料が要るよねと言うと、そうだと同意した。観測機器周りの雑草を刈り、本体の扉を開けると、パネル給電もバッテリー電圧もモニターランプの点灯に一安心する。バッテリーの比重による浮きを利用した表示はグリーンだった。汚れの目立つパネルを掃除して、点検終了。

Surja宅横の畑、Surja試験畑、ラクシミル畑、前日、前々日にスプレーをしていたPoteto畑を観察する。畝道を歩いていると、噴霧器を背負った男性が登場、これからスプレーするのかと聞くと、そうだと言う。噴霧器を降ろし、薬剤(多分Mancozebu)を投入、その後、小さなプラ瓶も投入する。何かと聞くと、NPKが瓶に表示されていた。葉面散布肥料をMancozebuと同時に散布するようだ。それはスンダールの店から買ったのかと聞くと、そうだと答えてくれた。肥料を散布することはスンダールさんが教えたに違いないし、Mancozebuについても彼は知っているはずだ。散布を減らすことはスンダールさんの商売にも影響する。散布を減らすことは、簡単には解決しそうも無い。

 ディペンドラさんとラムカジさんのPoteto畑に人影は無し、生育高、株間、畝間を計測して、往路を引き返す。授業を終えた子どもが何か言ってくる。お金を求めているようなので、無視する。ディペンドラさんの家近くで、本人と遭遇する。背中には噴霧器がある。ナマステ、今日は何回目のスプレーですかと尋ねると、1回目だと言う。Potetoの生育高は?15cm位、どの程度の間隔で散布するのかに対しては、1週間との答えだった。DSVの考え方を聞いていても、不安が散布させるのだろう。Potetoを観察する習慣もここでは根付いては居ない。

昼食を取るため家に戻るディペンドラさんとと別れ、サルナディ方面からの帰り畦道を歩く。ディペンドラさんは手袋していなかったし、マスクも付けていなかったような気がした。Mancozebuの危険性が明確でなく、安いのであれば農家は定期的な散布を止めそうもない。

これはでの支払いを換金を整理し、資金調達方法を試す。無料のコトラ送金は、WIZEへの送金元となるPayPay銀行には対応しておらず、PayPayからのPayPay銀行への送金は、PayPayを事前に海外使用登録しなければならない。Oliveの口座からH銀行へはコトラを利用し、使えないお金を移すとし、H銀行からPayPay銀行へは口座送金するしか無い。その後、WIZEに送金、WIZEからSurjaさんの口座経由でRupiを入手することになりそうだ。

日中の暑さが少し和らぐ3時過ぎ、サンティさんにパルバリ方面へ行くことを告げ、外に出た。サルナディ川から始まる登りは、前回よりも短く感じられ、脇道から旧Surja宅を目指す。周りのPoteto畑は既に花が咲いている。栽培期間の短さは、太陽エネルギーによる光合成の旺盛さをしめしている。

柔らかい粘板岩と花崗岩の境界

散布準備する婦人、素手で薬剤を投入、別の液体はガム?、展着剤だろうか、スンダールの指導だろう、何回目の散布かと聞くと2回目

男性が散布、娘二人が日本にいると言う、何処かと聞くと分からない、エッツ?、何回目かと聞くと2回目との答え、毎週散布するらしい。散布行為は既に定型化しており、これを変えるのは用意では無さそうだ。男性は裸足で散布していた。

変なおっさんに他人宅へ連れて行かれる。何を言っているのか分からないが、日本人が居ると言うのだ。

Sankhu-33

10月22日、朝、長南先生からビデオ電話があり、無事目的を果たしたことを伝える。長南先生もいろいろ書き始められているようだった。カナダの報文では、Mankozebuの葉面散布には問題が無いような記事があるとか。農家へどのように説明すればよいのだろうか。

朝食を取るべく、中庭へ降りる。毛唐が一人テーブルに座り、ガイドに説明されながら朝食を注文している。こちらも注文しようと厨房に声をかけると、何を食べたいのだと聞かれ、メニューを見せてくれと言ったのだが、まったく対応が無い。どうやら先のオーダーで忙しいらしい。しばらく、テーブル席に座っていたが、全く相手にされない。ここでオーダーしても相当時間が捕られそうだったので、2階の小部屋に戻った。しばらくすると、Rajuがやって来て、小さな荷物をまとめ部屋を出た。Rupiの持ち合わせが無いので、精算金をRajuから借りる。1泊、1DBT、1ボトルで1,000Rupiだった。これは助かる。宿の出口の庭では毛唐がたむろして、朝食を待っていた。

Rajuは、一昨日の痔症状から改善が無く、バイクを使わず宿まで歩いてきたと言う。それでも清浄液とPザの効き目はあったと言う。歩き方から、家族に症状がしれたらしい。そんなRajuに導かれ、Oliveカードを食べた銀行へと向かう。道路の混雑はそれほどでもないが、横断には気を使う。銀行の窓口はATM機の2階にあり、入口にはガードマンが厳つい顔で迎えてくれた。Rajuが要件を伝え、あっさり通過する。窓口には不機嫌そうな女性が二人、事務的に処理をする。パスポートを見せ、コピーを取られ、簡単な書類にサインする。Oliveカードは無傷で返ってきた。不機嫌な女性は、ここでRupiを降ろすかと聞いてくるが、不機嫌な女性は嫌いだし、この銀行との関わりたくなかったので、直ぐに席を離れた。Rajuが薦める別銀行のATMを使うが、ここでも換金時にカードが使えないと来る。スマホでVISAが推奨する別のATMでも同様で、とうとうOliveカードにロックがかかってしまった。PWは1つしか設定していないのだが、手の打ちようが無かった。

少ない手持ちのドルを近くのと言っても、前回も使った両替屋でRupiに換金し、トレッキングメンバーへのチップと宿代を返した。Rajuがお腹は空いていないかと聞くので、Rajuは?と聞くと、自分はDBTを食べてきたと言う。一人で食べるのも気に引けるので、俺は水だけで大丈夫だ。バナナでもあれば十分だと答えた。タメルを抜け、Rajuの事務所へと向かい、近くの店でバナナを買った。

Rajuの部屋で、それぞれが残務処理、Rajuと写真を交換する。今後の予定として、換金手段、体調を考え、できればPikypeakへの一人トレッキングを考えていることを伝えた。Rajuからは具体的な提案は無かった。トレッキング会社として、一人のトレッキングは推奨できないようだった。Dordi自治体との今後の関係構築についても話したかったが、それにはもう少し頭の整理が必要のようだ。

昨夜、デポしておいた荷物をまとめ、昼飯食べるかと聞くと、Rajuは要らないと言う。Rajuはタクシーアプリを使わないので、知人のドライバーを呼んでもらい、途中までRajuと同行する。二人目の娘がオーストラリアへ留学するため、銀行へ往くらしい。一旦、海外へ出てしまえば、もうNepalに戻らないのではと聞くと、それは分かっていると言う。上の娘も日本に留学しており、日本で外国人相手の通訳を務めるつもりだと聞いたのは、事務所への歩きながらの話だった。多くの若者が仕事を求め、海外へ渡る。それがこの国の現実であり、年齢階層ピラミッドでは、真ん中が括れている。Rajuもそんな現実を憂いてはいた。タクシーでRajuと握手して分かれる。

昼過ぎにKatumanduからタクシーでSankhuに戻る。SurjaさんとSantyさんが笑顔で迎えてくれた。ようやく休める場所にたどり着いた。お土産のローカル・バナナを渡す。

今日はバナナを二本した食べていないと言うと、軽食を用意してくれた。シャワーを久しぶりに浴び、着替える。荷物を整理し、洗濯物をまとめる。Rajuから貰ったファイルを含めると、写真は900枚近くになる。整理には時間がかかりそうだ。特にHimalchuliと湖面に写った姿では、人間の目の優秀さを感じる。

部屋は相変わらず彼らの寝室を使わせてもらう。部屋に来たSurjaさんと話をすると、前回、手術した妹さんに癌があり、状況は厳しいとの話、場合によっては癌専門治療の病院があるムンバイまで行くことも考えているとか。明日もKTMの病院で医者と話をするために行かなければならないらしい。癌は転移している可能性もあるとか。

こちらのトレッキングの話をする状況では無かったが、無事目的を果たしたこと、流域自治体の首長に会ってきたことを手短に伝えた。

屋上から定点の写真を撮影する。稲は完全に収穫されたかと想いきや、西方面の田植えが遅かったのか、まだ残っていた。それ以外はほぼPotatoが植えられている。既に膝丈となった圃場では、婦人がスプレーをしている。マスク、ゴーグル、手袋無しの状態である。

夕食後、疲れているから早く寝なさいと諭される。

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