10月10日、試験圃も設定できたので、安心感からかぐっすり眠ることができた。それでも、6時前には動き出す。トレッキングの荷物はポーターにある程度は任せるとしても、なかなか減量できない。シューズは入らないし、カメラも無理、この荷姿でラトナパークから40分、車、バイク、人通りの中を歩くのは辛い。朝、スリエさんにRajuのオフィスまでタクシーの手配を依頼する。
Sankhu-31
10月9日
朝の街中散歩、ダサイン関連?、お祝いの宴会?
トレッキング荷物の整理、ザックが満杯
砕土、種Potato配置、コトによる埋設
圃場区画の補測
試験計画書の作成
Rajuへの連絡、前泊ホテルの確保
Sankhu-30
10月8日
朝散歩、チャイ、モンスーンが終わる
畝づくり、肥料散布、圃場計測
施肥設計
Sankhu-29
10月7日、昨夜はKathmandu帰りのO先生も早めに眠りに付かれたので、二人共4時過ぎには起き出す。天気は曇り、なかなか晴れた空が拝めない。Surjaさんの試験圃の施肥設計をするため、散歩前にSurjaさんを捕まえ、いろいろと聞き取る。バジルティー
炒め野菜とソーセージ、チャイ
Ramesworさんの圃場観察
ChkinコンポストとCa、近所の養鶏所へ、Limeの空袋、農家聞き取り、息子、養鶏所、ゆで卵、
スンダール商店、肥料の推奨、ひっきりなしに来客、ビタミン剤、アミノ酸肥料、彼は農学者
ザー、キン、タルカリ、生キュウリにアチャールを付けて
休養
散歩、ディペンドラさん不在、ディペンドラさん圃場、
肥料屋さん、
ラメッシュさん
冬虫夏草ロキシー
night Meeting
Sankhu-28
10月6日、今日はライオン丸の命日である。41年前の事になってしまった。AACHのメーリングリストに投稿しようかとも思ったが、これまで同期の反応も半数程度だったし、Nepal国に来ていることを引けきらかすようでもあり止めた。追悼なんて、気持ちがあればいつでもできるものであり、人に言われてする行為では無い。ライオン丸も望んでいないはずだ。4日後にはSakhuからKathmanduへ移動し、10月11日から一人だけの追悼行が始まる。否、これまで連絡をしてきた多くの人の想いと共にである。持ってゆく物をそろそろ仕分けしなければならない。バクタプール演奏の最終楽章に今日は、窓外の稲刈り音が加わった。後でスリエさんに聞くと、昨日支払った分だけの作業が終わらなかったらしい。圃場全体を刈るのかと思ったら、支払いと作業面積はリンクしており、稲刈りは途中で終了した。
屋上からは、既に多くのグループが作業を始めているのが分かる。水田の稲穂も全体に2割り程度となった。
初下痢、外出控える、2回目のPro薬使用、昨日のペットボトル水、冬虫夏草のロキシー
水道建設報告書、規約の写真コピー、用排水路の維持方策の例、会計書に次亜塩素酸ナトリウム等の薬品なし
手鍬
手鍬、畝立て、二段階、
スリエさんの水田、稲刈り再開、手配師、脱穀、撤収
夕立
O先生帰還
施肥設計、画面上の面積計測
Sankhu-27
10月5日、バクタプール楽団の演奏は4時から始まる。南からの作業者達は煩いと思わないのだろうか?それとも、日々の重労働とロキシーで深い眠りの中なのだろうか。まだ、起きるのには早い。6時前に起きて、天気を含めた情報を確認する。ヒマルチュリへのトレッキング後をどうするかも考えながら。後輩のH君達がエベレスト方面から帰って来るのは11月10頃、仮にランタン方面へ一緒に往くとしても出発は11月15日、Sankhuに戻ってきても1ヶ月弱も時間がある。メインのトレッキングルートは人が多く、気乗りしない。節約したいので、バス移動、キャンプは難しいのでロッジ利用、しかし、展望は外せない。Pikey Peak辺りの情報にたどり着いた。
野菜の入ったダル・スープと、揚げいもに似た食べ物、チャイの朝食、スリエさんによると、サンティさんは毎日、我々の食事のことで頭を悩ませているらしい。申し訳なく、有り難い。
スリエさんは、8時からのロータリークラブの会合へ出発、朝の圃場風景を撮影後、昨日スリエさんから見せてもらったロータリークラブ会報の記事を撮影する。Kathmandu盆地が湖であった頃の図があったので、記事に興味があった。
Sankhu-26
10月4日、バクタプール楽団の演奏に時折目を覚ましながら、いつもの朝が始まる。まだ曇り空がモンスーンが続いていることを示す。野菜とパン、チャイの朝食後、Nepalの国家Potato計画を調べる。2016年以降の情報が無いところから、活動は停止しているようだ。スリエさんが見るスマホ情報の根拠がそこにあるのでは無いかとサイトを辿るが、PDFの日本語化に時間がかかる。O先生は、スリエさんのジャガイモ畑の施肥設計をするが、情報が錯綜し設定が難しい。
DBTの昼食後、部屋にやって来たスリエさんを捕まえ、ジャガイモ栽培計画を話し合う。スリエさんは既に、栽培計画を立案しているようで、それに従うこととした。
屋上撮影
畔道散歩
ロータリークラブ会報
Sankhu-25
10月3日、雨音で目覚める。バクタプール楽団も今朝は休演のようだ。雨のお陰で静かな朝とはなるが、また雨かとの思い。Windyで気圧配置を見ると、チベットのラサ方面に低気圧が居座り、南からの風を引き寄せる。当然、南からの湿った空気は、ヒマラヤ山脈にぶつかり雨雲をもたらす。この低気圧が1週間先の予報でも消えない。雨期と同じ状態がまだ続きそうだ。トレッキングの出発まで1週間だが、大きく変わらないかもしれない。Rajuから自動車移動の問題は聞いていないので、出発地点まではたどり着けるだろう。ルートは尾根沿いなので、土砂崩れの懸念も少ない。しかし、この天候では展望が期待できないかもしれない。
モーニングティーは、蜂蜜+レモン、すっきりする。そして、炒め野菜とゆで卵、ミルクティーの朝食をLoveloveな夫妻が運んでくれた。その前にO先生が、Shankapur市との研究協定書の案を書いてくれたので、ネパール語に変換、スリエさんにWhatappした。F氏とのミーティングでは、これまでの活動と我々の方針を伝える。スリエさんにも加わってもらい、NPOは調査組織で、実践的な資金を有しないことを確認した。スリエさんは協定案のネパール語を修正すると言って、部屋を出た。
ミーティングが終了し、Nexagのバッテリー交換をしようと準備していると、スリエさんが来て、10時半に副市長と農家を訪問すると伝えてきた。準備を変更して、副市長の住む街中まで行く。しばらくすると、副市長が作業服的な雰囲気で出てこられ、ナマステ、マニスパリティの公用車に乗り込み、街中で副市長の友人女性をピックアップして、Sankhuの街を出た。
バジュラヨギン寺の横を通り、しばらくすると右の砂利道を進んだ。ところどころが石畳みとなっており、熊野古道のようだが、この道もまだ新しい。車体は左右に大きく揺れながら、石畳道と泥道を交互に進む。右座席のO先生は、崖に近いことから恐怖を感じている。運転手に任せるしか無い。数日前の雨で真新しい溝が出来ており、維持補修が追い付かない。最初の農家にたどり着き、家の周りで栽培される多くの作物と、EM菌を使った液肥も見せてもらった。プラスチック容器内には茶色の液体と、牛尿の匂いもしたが、多くの地元素材をいれているらしい。EM菌を詳しくはしらないが、アミノ酸成分が作物に直接吸収されるのでは無いかと感じた。お礼にSBカレー缶をプレゼントすると、とても喜んでくれた。使ってみてからの感想を聞きたかったが、また会うことは無いだろう。2件目の農家に向かう途中、雨に削られた道路で車高の高い4WDの腹が支えてしまった。皆で車を押すが、少し動いてさらにスタックする。車底の土を車載の鉄棒で削るが効果は無い。車輪に小石を噛ませようとするが、ドライバーは拒否する。バイクの往来者が手助けして押してくれる。数人が押すことでようやく、トラップを抜け出すことができた。知らない顔して通り過ぎないのがNepal流なのだろう。
先週、スリエさんのバイクに乗って引き換えした地点の直ぐ近くが2件目の農家だった。イクスクの棚が広がり、対岸にもイクスクの緑の斜面が視える。かつては水田だったのだろう。曇り空から雨が落ちてきて、其の内、豪雨になった。庇のある土間からその様子を眺める。昔ながらの民家は44年前のトレッキング時に泊まった宿を思い出させる。土間の天井にはオブジェのようにとうもろこしがぶら下がる。いつもどおりのように、副市長がとうもろこしから実を外し、友人も倣う。主人が土間のかまどでコーンを炒り、食べさせてくれる。婦人は、発酵した葉野菜の漬物を出してくれた。炒った熱いコーンでお腹がいっぱいになる。肥料や販売先の話をO先生は主に尋ねる。ここでもSBカレーをプレゼントして、ナマステ
3件目の農家は、稜線を進んだ先にあるのだが、途中で斜面上の土砂が崩れて通れそうもない。車を降りて歩いてゆくと、バケットローダーが補修のため動いていた。1区の若い区長も側で見守っている。停車中のマイクロバスを過ぎて、しばらく進むと訪問先についた。グァバを頂きながら、スリエさんの翻訳で話を伺うが、SB缶を車に残したことを思い出し、ノートとペンをO先生に渡し、途中に止めた車まで戻った。もう来ることは無いだろうし、同じ対応をしたかった。農家に戻ると、区長も座って話を聞いていた。主の横に座ると、自家製のヨーグルトを進められた。酸味がありながらまろやかで美味しかった。ここでもO先生は、肥料と販売について聞き取られていた。副市長にはこれから予定があるらしく、最後の訪問農家をあとにした。どろどろになった道路の路肩を通り、バイクはなんとか通行している。峠の集落で副市長を降ろし、スリエさんと通った舗装道路をSankhuまで戻った。途中、何台かのトラックを追い越しながら。車を降りて街中でチャイを頂き、スリエ宅へ戻る。
休むまもなく、昨日、スリエさんに調達してもらったバッテリーを交換するため、スリエさんに同行してもらう。O先生も確認と撮影のため往くという。バッテリーと工具を背負い、いつもの道を観測施設まで進む。今後、バッテリーが消耗した時は、スリエさんに作業してもらうので、手順だけ説明し、すべて彼に作業してもらった。バッテリーを交換し、強制送信モードで起動すると、カメラ画像まで順調に進み、パネルをタッチすると子機からの送信も確認できた。あっさりと作業は終わり、O先生の懸念の一つが解消した。これまでのバッテリーは、新パッテリー充電時の予備として保管することとした。
Sankhu-24
10月2日、前日の歩行でぐっすりと眠れた。バクタプール狂詩曲を意識すること無く目覚めた。空は曇っているが、雨は無さそうだ。モーニングティーと朝食後、スサさんがKathmandu市の水道水を部屋に届けてくれた。早速pHをスリエさんに測定してもらう。pH7.2極普通の値、Sankhuの水道水はpH9.5、やはり次亜塩素酸ナトリウムの量が多いのだろうか。スリエさんに、水源河川とサリナディ川本流のpHを計測したいことを伝えた。O先生からは、用水路のpHを追加された。朝の定点撮影、次第にジャガイモ畑の優位性が高まる。
前日の夜、O先生と今後のNexagの扱いを話し合い、バッテリーを新調し、現在のバッテリーは充電時のサブとすることとした。さらに、当初屋上に移設を予定していたが、スリエさんの自給畑の片隅に置かせてもらうこととした。屋上の照り返しを避け、なるべく畑に近い場所を選定するものである。日照について確認したところ、冬場も陽が当たり、夏場も問題が無いとのことだった。残りは、ソーラーパネルを増設するかどうかである。バッテリーはスリエさんにお願いし、インドラヤーニまだひとっ走りしてもらうことにした。
スリエさんの兄、ラジャンさんの水田が近くにある。昨日、稲刈りを手伝うと言ったら、もうラジャンさんに伝わっていたようだ。準備をして外に出て、ラジャンさんと圃場を一回りしたが、予定していた南からの作業者が圃場に来ないようで、稲刈りは延期となった。
そうしている内、バッテリーを買いに行ったスリエさんが戻ってきた。早速、バッテリーチェッカーで確認、充電することとした。今回の滞在目的として、機器のマニュアルを作ることもあり、作業毎に機器に示される画面を撮影する。午後からは、それらの写真でバッテリーチェッカーのマニュアルを作成した。Webは便利で、ここに掲載することで、ネパール語変換ができて、スマホでを見ながら作業ができる。
夕食時にスリエさんから少々のロキシーをいただいた。
今日も副市長から農家訪問の連絡は無かった。札幌のF氏からは、われわれの活動が伝わっていないようなので、明日、ミーティングをすることとした。
Sankhu-23
10月1日、札幌は既に秋風が吹いているだろう。こちらの天気は曇りが多い。天気予報はいつも雨と雷雨だが、外れることが多い。前日、スリエさんにチャングナラヤム寺へ朝から往く話をしたら、ネワリ族に伝わるヨマリを既に用意しているので、それを食べてからにしなさい。とのことだった。
昨夜は考えがまとまらず、結局4時には起きてPotato Mandala を書いていた。ほぼ出来上がった頃に、O先生は起床された。曇り空ではあるが、暑い雨雲では無い。午後からは雨の予報ではある。スリエさんが右手につくり掛けのヨマリを指で回しながら、作っているよと教えてくれた。カメラを抱え、3Fのキッチンに向かうと、Love,love夫婦がヨマリを手際よく作っていた。ヨマリの外皮は、タイチュンと呼ばれる日本が台湾向けに開発した古い品種を粉にしたものをお湯で餅状にこねる。ピンポン玉くらいの生地を左手に取ると、右手の親指にオイルを付け、生地の中に差し込み、上手に円錐状に伸ばす。大きくなった内部には、シュガーケーンにココナッツ等を入れたペースト、ミルクから造ったガルと呼ぶ白いペーストが準備されており、スプーンで中に入れる。その後は、生地で蓋をし、耳を造って捻る。この形に意味はあるのかを聞いた所、円錐状は、陽が最短となる12月後半から陽が長くなることを表していると言う。ヨマリを作るのは満月の時でもあり、スサンはまだ作れないが、スサは作れるらしい。
円錐状のヨマリはその後、蒸し器の中で蒸された。二人の作業を動画で記録した後、屋上で風景を撮影する。毎日のように稲が黄色くなり、刈り取りが進む。そしてPotetoがあっと言う間に植えられてゆく。黄緑色が土色に変わってゆく。いずれこの土色も濃い緑になるのだろう。そして、Mancozebによる無駄を含めた防除が始まる。
2Fの部屋に夫婦が2種類のヨマリを1つずつ、ダル・スープ、チャイを運んできてくれた。シュガー・ケーンのヨマリは、前夜味見をさせてくれたが、ココナッツ以外にも味付けがあり、それは何だか分からなかった。ガルは単純にミルクの味がした。