第2期(1961〜1969年)「近代化幻想期」基本法が描いた産業化、米保護が阻んだ構造改革
農業基本法(旧)の理念と矛盾
農業基本法(1961年)は、日本農政史上の最初の体系的転換点である。フランスの共通農業政策(CAP・1962年)と同時期に成立したこの法律は、「農工間所得格差の是正」を中心目標に掲げ、農業を近代産業として位置づけることを意図していた。
法律の柱は「選択的拡大」であった。米だけでなく、畜産・果樹・野菜など需要拡大が見込まれる部門に重点投資し、農業所得を工業並みに引き上げるという構想である。この点はフランスのCAPが農業全体を産業として保護した方向性と類似している。
しかし農業基本法には出発点から致命的な矛盾が内包されていた。「選択的拡大」を標榜しながら、米の高価格保護という聖域は一切手がつけられなかった。生産者米価の政治的決定構造はそのまま温存され、農協・農林族議員・農林省の三角形による農政構造は揺らがなかった。
フランスのCAPが超国家的枠組みのもとで国内農業政治を一定程度制約できたのに対し、日本の農業基本法には選挙政治の論理を制約する力がなかった。これが両者の本質的差異の一つである。
農業構造改善事業とインフラ整備
農業基本法の具体策として、農業構造改善事業が全国で展開された。圃場整備(農地の区画整理)・農道・用排水路の整備に膨大な公共投資が注ぎ込まれ、機械化農業のためのインフラが整えられた。農業近代化資金・農林漁業金融公庫による融資が農機具の普及を後押しした。
北海道では、広大な農地の特性を活かしたインフラ整備が特に大きな意味を持った。十勝の広域圃場整備はこの時期に本格化し、大型トラクターが走れる農道・排水システムが整備された。現在の十勝大規模畑作農業の物理的基盤は、この時期の公共投資によって形成されたものである。
北海道3部門への影響
稲作では、機械化が急速に進んだ。田植機・バインダー・コンバインの普及が農作業を省力化し、農家の手取り収入は生産者米価の上昇とも相まって改善した。しかしこの収益改善は農家の経営効率化によるものではなく、価格補助によるものであったため、過剰生産の危機を内包していた。
畑作では、十勝を中心とした大規模化が加速した。農業構造改善事業による圃場整備と、大型農業機械の導入が組み合わさり、一戸あたりの経営面積が拡大した。ビート・でんぷん用馬鈴薯はそれぞれ製糖会社・でんぷん工場との契約栽培として安定した販路を持ち、この時期に経営的基盤を固めた。
酪農では、根釧地区の集約化が進んだ。草地造成・乳牛の増頭が続き、北海道の生乳生産量が急増した。しかし酪農経営の安定を支えた加工原料乳保証価格制度は、規模拡大のインセンティブを与えるには水準が低く、後の「大規模化なき安定」という問題の原型がこの時期に形成された。
農村空洞化の始まり
農業基本法が掲げた「農工間所得格差の是正」は、意図せぬ副作用をもたらした。格差是正の現実的手段が農村から都市への人口移動(出稼ぎ・兼業化・離農)であったため、高度成長期の農村人口流出が政策的に容認される構造になったのである。
北海道では兼業就労の機会が本州より少ないため、離農した農地が残留農家に集積される形での規模拡大が早い時期から進んだ。この離農→規模拡大の連鎖は北海道農業の大規模化を促進した一方で、農村コミュニティの解体を本州より早いペースで引き起こした。