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第3期(1970〜1985年)「補助金漬け迷走期」減反が封じた構造改革、転作奨励金が温存した零細農

過剰問題の顕在化と生産調整の開始

 1960年代末に米の生産過剰が決定的となった。食管制度による高価格保証が生産拡大を促す一方、食の多様化で米消費量が減少に転じ、食管特別会計の赤字は急膨張した。1970年、政府はついに生産調整(減反)に踏み切った。

 生産調整の仕組みは、農家に転作奨励金(後の転作補助金)を支払って米の作付け面積を減らさせるものであった。これはフランスがCAPの枠内で生産割当(クォータ制)と輸出補助金という明確な枠組みを持ったのとは根本的に異なる。フランスの制度が農業構造の効率化と一体であったのに対し、日本の減反は農家の経営合理化につながらない補助金漬けの面積管理に終始した。

 農家からみれば、米を作れば補助で収入が保証され、作らなくても転作奨励金で補填される。どちらを選んでも経営改善のインセンティブは生まれず、農業の産業化は遠のくばかりであった。

減反政策の政治的固定化

 減反が一旦始まると、廃止することは政治的に不可能に近かった。農家・農協・農林族議員が一体となって生産者米価の引き上げと転作補助金の維持を求め、この構造が毎年の予算編成を縛った。農林省は精緻な転作目標の割り振り・達成率管理・奨励金体系の設計に膨大な行政資源を費やし、農業政策の機能がこの非効率なシステムの維持に吸収されていった。

 減反政策は結局、1970年から2018年まで実質的に継続される。約50年間にわたって日本の農政を縛り続けたこの政策は、農業の構造改革を先送りし続けた最大の要因の一つである。

北海道稲作:品質向上と面積制限の矛盾

 北海道稲作は、この時期に独自のジレンマに直面した。品種改良によって米の品質が向上し、「ゆきひかり」など北海道産米の評価が高まっていたにもかかわらず、生産調整によって作付け面積の拡大が制限されたのである。

 品質を上げながら量を制限するという矛盾した状況のなか、北海道稲作農家は転作作物として大豆・小豆・飼料作物などに取り組むことを余儀なくされた。しかし本来の専門外である転作作物の収益性は低く、農家所得の不安定化が進んだ。

北海道畑作:価格差補給金制度の役割と限界

 十勝を中心とした北海道畑作は、ビート・でんぷん用馬鈴薯・小麦・大豆に対する価格差補給金制度(生産者価格と市場価格の差額を国が補填する制度)によって支えられた。この制度は農家の経営安定に一定の効果を発揮し、輸入圧力が本格化する前の時期には畑作経営の基盤となった。

 しかし価格差補給金制度には構造的な問題があった。製糖会社・でんぷん工場・小麦製粉業者という特定企業との契約栽培に農家の経営が依存する構造が固定化され、農家の市場交渉力は育たなかった。フランスが農業者組合を通じて農家の集団的交渉力を高めたのとは対照的に、日本の畑作農家は行政補助に依存する受動的な経営体質を形成した。

北海道酪農:加工原料乳保証価格制度の二面性

 北海道の生乳の大半は乳業メーカーへの加工原料乳(バター・脱脂粉乳等の原料)として出荷される。加工原料乳保証価格制度は、この価格を国が保証することで酪農経営の安定を図るものであった。

 制度は一定の安定効果をもたらしたが、保証価格の水準が常に経営コストの上昇に対して後手に回る構造があった。また保証価格の設定が農林省・乳業メーカー・農協の交渉によって決まるため、農家の経営改善より産業全体の調整が優先される傾向があった。規模拡大を積極的に後押しするインセンティブは弱く、「小さくても安定した酪農」という体質が温存された。これは後の大規模化時代に入ったとき、経営体力の不足という形で顕在化する。

第3期(1970〜1985):米過剰・減反迷走期の構造 生産調整(減反)を軸に補助金漬けの政策が定着し、北海道3部門に異なる矛盾をもたらした構造図 背景:米の慢性的過剰生産(1970年代) 生産者米価の政治的高値維持→食管赤字膨張・在庫急増。米消費は減少し過剰が構造化 生産調整(減反)開始(1970年〜):転作奨励金による面積管理 3部門への影響 稲作 品質向上(ゆきひかり) と面積制限の矛盾 転作補助金で畑作誘導 畑作 価格差補給金制度 (ビート・でんぷん) 稲作転換作物として増加 酪農 加工原料乳保証価格 制度で経営安定化 規模拡大誘因は弱い 共通の帰結:農村空洞化の加速 農村人口流出深刻化。北海道では離農→規模拡大の連鎖が本州より早く進行。兼業化も困難 フランス・CAP比較 仏:CAPで生産割当+輸出補助金という明確な枠組み。農業を「産業」として一貫保護 日:補助金漬けの非効率な面積管理(減反)→農家の経営合理化につながらず。政策目的が曖昧
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